「自責の念」


自責の念に駆られている。
どうしてあんなことしてしまったんだろう。
後悔している。
謝りたい。
やり直したい。
そんなことばかり考えている。
そして僕には、この自責の念に身に覚えがない。
あんなことなんかしていない。
後悔する意味がわからない。
謝る相手なんかいない。
何をやり直せばいいのかわからない。
だけど僕は、自責の念に駆られている。
大好きなゲームをしているときも、
大好きなパスタを食べているときも、
大好きな彼女といるときも、
自責の念がちらついて、100%楽しめない。
ゲームやパスタや彼女に対して、申し訳ないという気持ちになる。

ある時ふと思った。
この身に覚えのない自責の念は、あいつの自責の念なんじゃないだろうか。
あいつにはこの自責の念がお似合いだ。
あいつはあんなことをしてるだろう。
絶対にあんなことをしてるだろう。
いっぱいいっぱいあんなことをしてるだろう。
なのにあいつには、自分を責める様子が全くない。
返さないと。
この自責の念を、あいつに返さないと。
僕が駆られている自責の念は、あいつが駆られるべきなのだから。

僕は、自責の念の返し方を調べた。
時間の許す限り調べたが、ヒントらしきものすら見つけることはできなかった。
それでも僕は、途方にくれる間も惜しんで自責の念の返し方を調べた。
でも、結局、あいつに自責の念を返すことはできなかった。
返す前に、あいつは死んだ。
自殺らしい。
遺書が残してあったらしく、あんなことをしてしまった事への後悔と、迷惑をかけてしまった人への謝罪の言葉がたくさんたくさん書かれていたらしい。
たくさんたくさん、書かれていたらしい。

あいつが死んでも、僕が駆られている、身に覚えのない自責の念は消えなかった。
あいつのじゃなかったのか。
やっぱり僕のなのか。
身に覚えはなくても、僕のなのか。
僕のなのだとしたら、消えない気がする。
身に覚えがないから、消しようがない気がする。




それならそれでいい。
僕には、ゲームと、パスタと、彼女がついている。

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