「jump into honeymoon!!!」

 結婚してくれ、とプロポーズしたら、バンジージャンプをやったらする、と言われた。結果、オレは崖の上にいる。本場かどうかわからないけれど、東南アジアの端っこの島までやってきたのだ。崖の下には結構小さめの川が流れている。オレの足を縛るゴム紐はあまりにも脆そうだ。万が一のことがあれば、きっとオレは死ぬだろう。オレの後ろには、未来のお嫁さんがいる。ゴーゴー、と、のんきにオレを応援している。

 バンジーするならいい、なんて言うから、それは断りの意味だろうと思ったが、本当に飛び降りるならば、結婚してくれるつもりらしかった。何でも祖父の遺言だか何かで、それくらい勇気のある、男気のある、それでいてノリもいい男でないとだめだ、みたいなことを言われたのを真に受けているらしい。そもそもオレと結婚するつもりでいたようだから、そんなことしなくてもいいと思うのだが、律儀なのだ。
 それにしても祖父も祖父だ。どうしてオレは結婚するのに、未来のお嫁さんの家族から、バンジーを飛ぶことで承諾を得なくてはならないのだろうか。こんなのって、未来のお嫁さんに対してではなく、亡き祖父に向けて飛ぶようなものだ。オレは悩んだ。遊園地のアトラクションでも恐ろしいというのに、それがいきなりグレードアップ。本物の崖だ。未来のお嫁さんは、良いバンジー場所をあれこれネットで探してくれた。そして婚前旅行という形を取りつつも、オレを崖の上まで連れてきた。でもどこが良いバンジースポットなのか、オレにはまるで理解できない。現地の人は日本語もままならない。口にしているのは英語ですらないような気がする。何を言っているのかわからない。何やら、今日はやめたほうがいい、縄だか紐の調子が悪い、風が強い、暦が悪い、などと言っているようにすら感じる。おまけに彼らはどこか機嫌も悪い。口調がきつくて、怒鳴っているみたいだ。オレは怖くてたまらない。

 ちらりと未来のお嫁さんに、飛ばなくても結婚する? ってこの土壇場になって試しに聞いたら、真顔で、飛ばなきゃダメ、と言われた。遺言へのこだわりぶりが半端ない。それくらい祖父のことが好きだったのかと尋ねると、それほどでも、とさらっと答える。何だか、よくわからない。改めて思うけれど、祖父も祖父だ。
 未来のお嫁さんの家族は川のすぐ横の家に住んでいる。川の近くに住むと気がふれる、というような話をどこかで聞いたことがある。きっとのせいで、未来のお嫁さんもその祖父も、こうしてオレを崖に連れて来て飛ばせようとしているのだ。ちょっとどころか、かなり頭がおかしい。オレは川の近くに住みたくなんかない。早く未来のお嫁さんと新居に引っ越して、川の近くから逃れさせたい。未来のお嫁さんの祖父が遺した言葉に屈してはならない。そのためにオレは飛ばなくてはならない。未来のお嫁さんのことを諦めてはならない。オレは、結婚する! するんだってば!
とは言うものの、オレの足は震えている。

 そう言えば、未来のお嫁さんの父親もちょっとおかしいところあったよな。オレは見たくもないのに、ちらちらと崖の下を眺めながら思う。恐怖しながら、ポマードサンドイッチの話を思い出す。
小学校の運動会当日、娘のためにと父が異様に張り切って、大量のサンドイッチを用意したのだけれど、順序がおかしくて、先に出かけるための身支度を終えて、それからポマードたっぷりの手で作ったので、すべてべたべたになってしまった。お昼にランチボックスを開けたら、吐きそうな匂いが漂ってきた。びちゃびちゃのパンから漂うダンディーな匂い。未来のお嫁さんは、そのおかげでずっとサンドイッチを食べられなくなった。そういう話だ。やはりあそこの家族はちょっと頭がおかしいのだ。詳しく聞けば、そもそも未来のお嫁さんの父だって、バンジージャンプを飛んで結婚したらしい。日本人にはそんな習慣ないはずだ。ないはずだとオレは聞いている。

ゴーゴー、ゴーゴゴー! 
未来のお嫁さんの声が聞こえる。この圧倒的な危険を前にして、そのかけ声はあまりにも軽い。軽すぎる。オレの足ががくがく震えているのが見えているのに。現地の人たちも、ぎょーぎょぎょー、とか騒ぎだす。やっぱり英語もままならないのだ。しかし、さっきまであんなに不機嫌そうに見えたのに、何が、ぎょーぎょぎょー、なのだろうか。ノリノリじゃないか。そもそもオレが今から飛ぶことをわかっているのだろうか。やはり川の近くに住んでいるせいだ。こいつらも少し気がふれている。ごうごう、と崖の下から、風が吹き抜ける不気味な音が聞こえてくる。

 オレは後ろを振り返り、未来のお嫁さんに、勇気を振り絞って、結婚してくれ、と言う。未来のお嫁さんは、飛んだらね、と笑顔で答える。挙句、ヴイサインとかしてるし。オレはこの圧倒的な能天気さ、そして少しの気のふれ具合に恋をしていたのだ、と思う。何故過去形で思ったのかオレ自身わからない。オレの気持ちが冷めたわけでもない。オレはこの人と家族になるんだ、と思う。オレは未来のお嫁さんに向かってヴイサインしてみる。指先が震えている。何故か、現地人たちも、揃いも揃ってヴイサインしている。だけど、伸ばす指が微妙に間違っている。

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