「投げろ、そうでなければ、揉め!」

 息子とキャッチボールをしていたら、投げている球が途中からおっぱいに変わった。よくわからないが、この感触、この形、この突起……間違いない、おっぱいだ、と思いながらオレは息子に向かってやさしく投げた。息子も基本通り右手をグローブに添えて、おっぱいをキャッチする。そしてなかなか様になってきたフォームでオレに投げ返す。オレが9歳のときよりも断然きれいなフォームだし、球にも力がある。オレの胸元におっぱいが正確に届く。
息子は淡々とした表情をしている。まだおっぱいに興味がないのか、それともキャッチボールに夢中でまだ気づいていないのか。むしろオレのほうが興奮しているかもしれない。こんなきれいなおっぱい、そうそう見たことない。本当なら投げ返したくないところだ。
 オレと息子は河原の端っこにいる。天気はすごくいい。ただ平日の昼間、という大人としても子供としても間違った時間にキャッチボールをしている。オレと息子の横をゆるやかに流れる川の水面は、光に反射してきらきらとまぶしい。丁寧に手入れされた河原の芝が気持ちいい。青々とした芝生の上で、オレたちはおっぱいを投げている。
さっきまでは、オレと息子は何の良心の呵責もなく、キャッチボールをただ楽しんでいた。これまでオレはそういう教育をしてきた。オレと息子はときどき仕事と学校を休む。そして父と息子の二人きりの時間を過ごす。家のすぐ近くにある河原に出かけ、キャッチボールで男と男の無言の会話を交わす。オレが息子にしてやるのはそれくらいなものだ。男子は父親とのキャッチボールで育つ。そう言っていたアメリカの作家がいた。そいつはピストルで自殺したが、言っていることはきっと正しい。
 しかしキャッチボールは今や、キャッチおっぱいに変化している。グローブ越しでも、おっぱいを受け取る衝撃はやわらかくて心地いい。グローブに収まったおっぱいをダイレクトに手にするときの感触は、女性のおっぱいをそのまま揉むのとはまた違った恥じらいや照れくささ、そして喜びがあった。オレは息子を前にして、思春期みたいな気恥ずかしさと性的なうずきが混ざった、もやもやとした気持ちになる。なんだかジーンズの股間の辺りが窮屈だ。そのせいか投げるフォームも安定しない。息子は少しもおっぱいのことを気にせずに投げている。それはあいつが幼すぎるせいだ、と思ってしまうなんてオレも大人げない。
 おっぱい投げを続けながら、オレはこのあとのことを考えている。このままおっぱいを置いていくか、持って帰るか、迷うところだ。オレはできたらこっそりとこのおっぱいを持ち帰り、一人占めしたい。どこかに隠しておきたい。やはり息子には、おっぱいのよさがわからないのだ。とりあえず、オレは内密にことを運びたい。何と言っても、嫁の手前もある。突如としてオレの目の前に現れた、丸々としたおっぱい一つ。それが二つになれば、いよいよ浮気の範疇に突入してしまうだろう。それでもオレは、もう一つ軟式ボールを持ってきて投げたら、それもおっぱいに変わらないかな、とも考えている。確かガレージには予備のボールがあったはずだ。それも持ってこなかったのは失敗だったな。今から持ってこようかな。そんなことを考えていたら、オレの投げたおっぱいが息子の遥か頭上を超えてしまった。青い芝の中におっぱいが落ちる。息子はちらりとオレを睨んでから拾いに走る。その睨み方も堂に入ったもので、オレは申し訳ない気持ちになりつつも、息子のことを頼もしく思う。オレが9歳のころはそんな表情で親のことなんて睨めなかった。
 息子はしばらく、おっぱいが落ちた辺りを探しているが、なかなか見つからないようだ。ちらちらとこちらを向くので、オレも仕方なく近づく。芝生の上を歩くのは気持ちがいい。河原にはオレたち以外に誰もいない。川の水面に向けて鳥が勢いよく降りていく。小さな水しぶきが上がるが、すぐに鳥は空高く舞い上がる。息子はまだおっぱいを探している。オレが見つかったかと尋ねると、息子は力なく首を振る。すでに先ほどの恨みがましい表情が消えている。どこか不安そうだ。オレも一緒におっぱいを探す。まあオレの暴投が原因だから仕方がない。
芝のあちこちを探してみるが、おっぱいはどこにも見つからない。ちゃんとした軟式ボールさえ見つからない。あるのは誰かが残していった飲みかけの紙パックジュースとか、お菓子の袋とかだけだ。息子が泣きそうになるので、オレはもう少し頑張って探そうと言う。しかし息子はすでに心が折れている。キャッチボールを終わりにするいいタイミングだと思っているのだ。ボールは別のものがガレージにあるんだから。そんなニュアンスのことをオレに聞こえるか聞こえないかの大きさでつぶやく。オレはそれを無視しておっぱいを探す。やはり息子はおっぱいの価値がまだわかっていないのだ。そうそうボールがおっぱいに変わるチャンスなんてないんだぞ。オレはそう怒鳴ってやりたいが、すんでのところで自制する。自制はするが、まだ一人でおっぱいを探している。必死で青々としたやわらかい芝の中を探す。そんなオレの背中に向けて、いつの間にか立ち上がっている息子は、お母さんの揉めばいいじゃん、と言う。
 オレなんかが思っている以上に、息子は大人なのかもしれない。手を止めて仰ぎ見る、息子の背後に広がる空は、あまりにも青くて美しい。オレの手には芝の匂いがついている。

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