「祝祭」

 村を囲む山の稜線から太陽の輪郭が浮かび上がると、太鼓が鳴った。リズムはシンプルだが、太鼓の音は村中に響き渡る。祭りの朝だ。
 昼前には娘が成人を迎えるための祭りが始まる。この村では娘は13歳になると成人と見なされる。男の場合はもう少し遅く、成人するのは15歳だ。14歳の男の子は、「るろ子」として、それもまた特別な存在とされる。しかし娘が成人を迎えるときにしか祭りは開かれない。村では久しく女の子が生まれず、また生まれても13歳を迎えられなかった子供も多い。祭りは数年ぶりだ。
 太鼓は何の意志も込められず、規則正しく叩かれている。太鼓の音は原初的な響きで村とそれを囲う山に広がっていく。ただ祭りの朝が来たことだけを告げる。村人たちが起きだす。成人になる娘も目を覚ます。緊張して眠れないはずだと思っていたが、夜中に一度も目を覚まさなかった。むしろ深く眠りすぎたくらいで、少し頭が重い。しばらくすると家族の誰かが呼びに来るだろう。それまでに乱れた髪を梳いておくことにして、娘はベッドから起きる。窓から差し込む日ざしが娘の寝巻の上に陽だまりを作る。太腿に広がる小さな光の輪が揺れる。それは揺れるそばから影に変わる。

 太陽はゆっくりと村の真上に向けて移動する。娘は広場の中央に座らされた。たくさんの服を何枚も重ね、身体は丸く膨れている。娘が羽織っている服はそれぞれが単色で、どれも鮮やかだ。一番上は白だが、胸元からはさまざまな色がのぞく。服のせいで身体が丸くなり、座っていても落ち着かない。おまけに村人たちからの視線が自分に集まっている。これまでの人生でこれだけ多くの人から一度に注目されることはなく、娘は不安でたまらない。顔を上げることもできない。尻の納まりも悪いし、手を上げるのにも一苦労だ。身体の内側から汗が溢れ出てくる。しかし大量の服のおかげで汗が染みになったところを見られることはない。おまけに身にまとっているのはとても濃い色をした服ばかりだ。
 山の上には薄く引き延ばされた雲が浮かんでいる。祭りの日は常に天気がいい。周囲からは宴のために焼かれた肉の匂いがする。甘い乳製品の香りも漂っている。それにつられてか、娘の頭上を蝶の番が飛び回る。蝶は不規則的に空を漂い、無色の軌道を描く。

 娘の成人を祝うために男の子は何日も前から笛の準備をしていた。本来であれば14歳の「るろ子」に笛吹きを任せることはないのだが、下の男の子は幼すぎるし、上で生き延びているのは、すでに成人しているものばかりだ。こういう場合には「るろ子」が笛を吹く。村には多くの言い伝えと規則があって、そうした例外的なものさえも決められている。
 太陽が完全に頂点まで達したとき、太鼓が再び鳴る。朝とは違い、大地が揺れるほどに激しく叩かれる。その地響きが足の裏に伝わってくる。「るろ子」の笛吹きは緊張のあまり、その震えに気づかない。村人は誰も「るろ子」を見ていない。みんなが娘から視線を離せずにいる。緊張している笛吹きにしても同様だ。広場では娘を中心にして村人が囲んでいる。円の中に入った笛吹きは合図を待つ。太鼓が鳴りやむまでは笛を吹かない。その瞬間を緊張しながら、「るろ子」の男の子は待っている。「るろ子」はもうしばらくすると、村を守るとされる黒い牛と一夜を共にしなくてはならない。その意味をまだ男の子は知らない。
 しかし今は「るろ子」の男の子はただの笛吹きだ。祭りでは笛吹きはさほど意味を持たない。規則で決められてはいるが、子供がやるべきものとしか村人たちからは見なされていない。そしてその村人たちは娘をじっと見つめている。成人になる娘の表情やその仕草、色とりどりの着物へ視線を送る。
 やがて太鼓が鳴りやむ。それが合図となり、「るろ子」の男の子は笛を吹き始める。最初、緊張から音がかすれた。しかし誰もそんなことは気にしない。手の先が震えている。足もまだ震えている。ようやく「るろ子」の男の子は先ほどまでの太鼓の音がいかに大きかったのか、それがどれほどの振動を起こしていたのかに気づく。
 笛が鳴り始めると、娘は立ち上がる。周囲の空気が変わる。音にならないざわつきが広がる。それは連鎖して、娘を囲んだ村人たちに一瞬で伝わる。娘は空を見上げる。なんていい天気なんだろう、なんてうつくしい空なんだろう、と思う。これまでにそんなことを心から思ったことがなかった。「るろ子」の男の子が吹く笛のおかげでいくらか気分は落ち着いてきたものの、視線が集まることに慣れそうもない。娘は時間をかけて服を脱ぐ。白が草の上に落ちる。そして赤い服があらわになる。娘はその赤い服の裾に指をかける。笛の音を聞きながら、赤い服を脱ぐ。時間が分割されたように、ゆっくりと赤が落ちる。黄色が浮かび、それもまた落ちる。笛の音はとてもうつくしい。娘は丸々とした姿から次第に細くなっていく。その間にも緑が落ち、青が落ち、茶色が落ちる。金や銀までもが落ちていく。身体に浮かんだ汗が乾いていく。
 笛吹きの男の子はまだ緊張している。練習ではもっと上手に吹けたはずだと思いつつ、指を動かす。そして笛に息を吹きかける。ときどき音色は頼りなくなる。しかし村人の誰もそれを聞いていない。村人たちは娘に夢中だ。例え笛の音が止まったとしても誰も「るろ子」の男の子へ視線を向けないだろう。
 しかし娘だけは別だ。多くの視線にさらされている中で、娘は笛吹きの男の子を見ている。その音色の行方を追っている。その音を聞いている限り、張り詰めた気分はいくらかは緩和される。娘はどんな音でさえ聞き漏らすまいと耳をすませる。そして次々と新しい色をさらしていく。娘には「るろ子」の息遣いが聞こえる。息継ぎするときに、空気の小さな塊を飲み込む音さえも耳に届く。その音はどこか初恋に似ている。しかし娘はもう成人だ。娘の姿はもはや生の肉体そのものに近くなっている。残された着物はあと数枚しかない。それでも娘は服を脱ぐ。「るろ子」は笛を吹く。ようやく納得のいく音が出せたと本人は思うが、誰も聞いていない。
 祭りはまだ始まったばかりだ。どこかから肉の匂いがする。大量の家畜、鳥の肉が焼かれている。そしてそれを最初に食べるのも成人した娘の役目だ。娘はまた一枚、鮮やかな色の服を脱ぐ。一つずつ、色を落としていく。

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